スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--.--.-- | スポンサー広告

Harry in Shibuya

昨日渋谷のライブハウスでHarryのソロライブを鑑賞してきた。Harryこと村越弘明は言うまでもなく伝説のバンドThe Street Slidersのフロントプレーヤーであり、バンドの解散後は主にソロでのギター弾き語りやベースとドラムだけの3人編成のバンドで活動してきた。

The Street Slidersでは、ZuzuとJamesの安定したリズム隊にKeith Richardsを髣髴とさせるHarryのリズム・ギターと彩り鮮やかな蘭丸のメロディー・ギターの2本が絶妙に絡み合い、独特の“横乗り”のサウンドが奏でられていた。解散後のHarryは引き続きリズム・ギターに特化し、一時Dr. Kyonによるキーボードやギターのサポートを受けたこともあったが、基本的にはメロディーなしで演奏してきた。ほとんどSliders時代と同じフレーズを弾いているといっても過言ではないだろう。昔からのファンの宿命として、Harryのソロライブを聴くとどうしても頭の中で蘭丸のギター・フレーズが鳴ってしまうのだが、ソロだからといって蘭丸の分までHarryがギターを弾くことはない。つい、誰かブルース・ギターのサポートを受ければと思ってしまうのだが、きっとHarryは自分が作り上げてきたSlidersの世界に新しい色を入れることには抵抗があるのだろう。どこかのインタビューで読んだが、今でもSlidersのナンバーを演奏するのはSlidersの曲を奏で続けられるのは自分だけしかいないからだと語っている。

この日は、先日リリースされたセルフカバーアルバムのナンバー中心のライブであった。相変わらずギターのカッティングは絶品であるが、それよりも年々ボーカルの厚みが増してくるのが印象に残った。初期のSlidersのころには勢いが中心で決して余裕のあるボーカルではなかったように思うが、今は声が安定しメロディーを完全にコントロールしながら歌っている。仲井戸麗市にも同じことが言えるが、長く誠実に歌っていると確実に歌唱力は向上するものらしい(自分の音痴ぶりは一向に改善されないのだが、、、、)。

心に残ったナンバーをいくつか。おそらくバンド解散した直後の心境を描いたと思われる“Midnight Sun”、“あったかい曲”との紹介で歌った“ありったけコイン”、いまさらのようにHarryの詩の世界の奥行きを感じた“道化師のゆううつ”、シャープなナイフのようなギターを刻む“Pace Maker”。この他、Harryと蘭丸の心の距離をかすかに感じるようになった “Get up and go”はあまり好きなナンバーではなかったが、アコギでのソロ演奏でまた違った側面が見えてきた。

これからもマンネリでもいいから、Harryにしか表現できない世界を刻み続けていって欲しいと願うばかりだ。

スポンサーサイト

2008.05.23 | Comments(0) | Trackback(0) | ライブレポート

米民主予備選に思う

20日に行われた米大統領選挙の民主党予備選は、オバマ上院議員がオレゴン州で、クリントン上院議員がケンタッキー州で、それぞれが勝利したと報じられた。その結果、オバマ氏は予備選で得られる民主党の一般代議員総数の過半数を確保し、民主党指名獲得にまた一歩近づいたことになる。一方のクリントン氏は、まだあきらめておらず、モンタナ・サウスダコタ州で行われる最後の予備選まで戦い続け、民主党は11月の大統領選に勝利することができる人物を選ぶべきであると宣言している。

クリントン氏の強さは、まだまだ保守的な考えを持つ人々が大層のアメリカ社会で、女性であるがゆえに同等に扱われず、厳しい戦いを強いられてきたその軌跡にある。アメリカは、女性の政界への進出度は先進国の中でもかなり遅れており、彼女が現在の地位を築くまでの道のりには並大抵でない苦労があったと思う。夫のビル・クリントンが大統領になった当時も、ファースト・レディーは常に「模範的な主婦」であることが求められており、あくまでも内助の功を果たすことがその役割であった。しかし、ヒラリーは自ら述べているように、母であり妻であるとともに「活動家」であった。そんな彼女は、内助の功を超えた政策関与をしているのではないかと、常に批判に晒されていた。

対するオバマ氏も、幼少期から波乱万丈の人生であった。父親はケニアからハワイ大学に留学していたアフリカ系黒人で、大学で知り合った白人女性と結婚した。そして、バラクを授かったもののまもなく二人は離婚することとなり、母親はインドネシア人男性と再婚し、一家はバラクを連れてジャカルタに転居することとなる。その後、バラクは単身でハワイに戻り母方の祖父母に育てられる。そして、アメリカ本土に渡ってコロンビア大学で政治学を専攻。卒業後、人権問題に関心を持った彼は、黒人教会のコミュニティ・オーガナイザーとしてシカゴに行くこととなる。若干46歳という若さであるが、彼のこうした生い立ちからも、オバマ氏が生まれ育った境遇ゆえの苦闘の人生を歩んできたことが想像できる。

クリントン氏とオバマ氏に共通するのは、この世界には普遍的な常識などないことを知っているということだろう。白人男性が多様性に対する許容力がないということではないが、普通であれば、彼らはマイノリティの立場に置かれることはなく、常に優位な立場で限られた尺度の中で物事を考えている。世の中は広いということを頭ではわかっていても、実際に経験しなければ本当の意味で理解できないこともあるだろう。(オバマ氏も、著書「Dreams from my father」の中で、”I think perhaps education doesn't do us much good unless it is mixed with sweat.”と書いている。) 問題山積みで八方塞がりの様相を呈する今のアメリカにとって、今までにない新しい視点に立って解決策を模索することができるリーダーに期待が集まるのは当然かもしれない。もちろん誰が大統領としてふさわしいかは政策あってのことであるが、同じく問題山積みにもかかわらず期待できるリーダー候補すら見つからない日本よりは、アメリカの未来は明るい気がしてくる。

2008.05.22 | Comments(0) | Trackback(0) | 政治

証券化商品格付けの変動性

先日、Moody’sが証券化商品の格付けに関連するレポート(“Introducing Assumption Volatility Scores and Loss Sensitivities for Structured Finance Securities”)を発表した。昨年の夏以来、多くの証券化商品が格下げされて各方面から格付会社に対する批判が相次いだが、今回発表した内容はそうした批判を踏まえてより市場で受容される格付けのアプローチを模索する動きの一つである。

年初来、Moody’sはファンダメンタルズの分析を主とする企業格付けと、モデルによる分析を主とする証券化商品の格付けについて同じ格付け符号を用いることの是非について、市場参加者に広く意見を求めていた。意見を集約した結果、例えば”1~21”といった数字や”Aaa.sf”といった記号を証券化商品の格付けに用いることには大半の市場参加者が反対した。格付け符号が変わると、証券化商品を保有する市場参加者はリスク管理モデルや法的な契約書等を一斉に見直し・修正を行なうことを迫られ、それなりのコストがかかることが予想される。格付け符号を変える代わりに、信用リスクを示す現状の符号に加えて、格付けの変動性に関する新たな追加情報を提示することになったようだ。サブプライム問題の発生以来、格付けの安定性に対して信頼が失われていたことを考えると、ごく自然な流れと言えよう。

追加情報の一つはAssumption Volatility Scoresと呼ばれ、主に格付けモデルの前提条件についてどの程度不確実性があり、その結果将来どの程度格付けに変動性が見込まれるかを示すスコアである。言ってみれば、「この案件はとりあえずAaaと格付けしますが、格付けの前提について自信がない部分もあるので、将来結構動くかもしれませんよ」といったような情報であろう。このスコアを決定する上で考慮されるのは、(a)当該アセットクラスの過去の格付け実績、(b)過去データの量・質的充実度、(c)仕組みの複雑さや担保の時価変動の影響の大きさ、(d)当事者間の利益の相反の度合い等の4つであり、これらを考慮して格付けの変動性が(i)低い、 (ii)低い/中程度、(iii)中程度、 (iv)中程度/高い、(v)高い、の5段階評価が提示される。憎まれ口を叩けば、(a)から(d)のようなポイントは慣れた投資家であれば従来から証券化商品を購入する際に必ずチェックする項目であり、特に真新しさは感じない。重要なチェック項目がより明示的になることによって、証券化市場の新規参入者等にとっては有益な情報となるだろう。ただし、異なる案件を相対化する上では役に立つと思われるが、このスコア自体もあくまでも格付会社の主観的な意見であることを忘れてはならない。「このアセットクラスの格付けは過去において安定的であり、過去データも10年もあり、仕組みは単純で、バランスシート型だから利益の相反がないため、格付けの変動性は低い」といった意見は、いかにも主観に満ち溢れているではないか。

もう一つの追加情報はLoss Sensitivitiesと呼ばれ、格付けのパラメーターの中でもっともウェイトが高いとされる期待損失率に(95%の信頼区間の)ストレスをかけた場合、どの程度格付けが下がりうるか、そのセンシティビティを示したものである。このレポートに示されたモデルケースでは、95%信頼区間のストレスによって、RMBSを裏づけとするCDOのジュニアAAAは6ノッチ、プライムのオートローンのABSのAAAは2ノッチの格下げが見込まれている。投資判断を行なう上で有益な目安となると思われるが、95%の信頼区間が妥当であるとは限らず、また、期待損失以外にもアセット間のコリレーションやデフォルト時回収率の変化によっても証券化商品のパフォーマンスは大きく左右されうることも念頭に置く必要はあるだろう。

このレポートの中でMoody’sは証券化商品格付けの難しさとして、一定の前提の基に損失分布を描いてもそもそもその損失分布の形状が正しいとは限らず、格付けの変動性が高くなることがあると率直に認めている。目標とする格付けを付与する際にこの点を考慮して信用補完を多めに設定すると、付与された格付けが保守的過ぎることにもなるが、言うまでもなく格付け記号はその対象がデフォルト等を起こす可能性を示しているものであり、保守的であればいいというものではない。いずれにしても、金融工学の技術をどんなに高めても数字ですべて把握できるという次元に到達することは不可能であり、格付けにしてもVARといったリスク指標にしてもあくまでも一つの目安として認識し、記号や数字に表れないリスクや商品性の魅力をかぎ分ける能力が重要なのだろう。

2008.05.18 | Comments(0) | Trackback(0) | 市場雑感

MBIAの決算発表

最大手モノライン保険会社のMBIAは昨日の決算発表を行い、CDSにおける36億ドルの未実現損失を主要因として、第1四半期の純損失が24億ドルになったと発表した。

昨年来市場の注目となっていた格付けについては、トリプルAを維持する適正資本に関して、S&Pについては余裕があり、Moody’sについては必要最小限の数値はクリアしているものの、Moody’sが設定する目標値には17億ドルほど不足しており、今後6ヶ月のうちにこの目標値をクリアできる見込みであるとしている(Ambacも同様にMoody’sの目標値に達していないが、5月中を目処にこれをクリアできるとの見込みを示している)。

また、Moody’sとS&Pから2月末にAAA/Aaaが確認されるまではほとんど新規の保証ビジネスを行っていなかったが、3月以降は24の新規のPublic Finance案件の保証と222件のセカンダリーでの保証を行っている。今後もPublic Financeの分野ではモノラインによる保証へのニーズは引き続き高いと強気な姿勢を示している。

詳細を見ていくと、CDSにおける評価損は実際には70億ドルを超えているが、SFAS157に従って偶発債務を“Libor + MBIAを参照するCDSスプレッド”で時価評価すると、同社を参照する5年のCDSスプレッドが3月には概ね600bps~800bpsといった水準にあったせいか、36億ドルのプラスが生まれ、結果としてCDSによる損失は36億ドルのマイナスで収まっている(△72億ドル+36億ドル=△36億ドル)。Merrill Lynchなどの米系の投資銀行等も同様の“負債の時価評価”によって、CDSスプレッド拡大の“恩恵”を受けていることはよく知られているが、何度見ても違和感を覚える会計手法である。MBIA自身も、同社を参照するCDSスプレッドがタイトニングすると損失が膨らむことを“パラドックス”であるとしているが、今後の推移を無視できない金額であるように思われる。

一方、発表されている損失の額自体は大きく感じられるものの、これらすべてについて将来的に保険の支払いが発生することを想定しているわけではない。金融保証の形態でリスクをとっている部分については、将来想定される保険支払い額の現在価値を引当金としたものであるが、CDSの形態でリスクをとっている部分については減損部分(将来の支払い見込み額の現在価値)だけでなく時価評価の損失分すべてを損益計算書に反映させている。実際に支払いを想定している部分についても、早期に資産の清算が予想されるCDOスクエアについては損失の支払いは2009年から4~5年にわたり、資産を清算するかどうかについてMBIAに決定権があるHigh Grade ABS CDOについては損失の支払いは30年後から40年後にわたるとして、手元流動性が急速に悪化することはないと強調している。

今回の決算においては、サブプライムローンの累積損失率が16%~20%程度であり、算出の前提条件として住宅ローン市場に過度にストレスがかかった状況は2009年半ばまで続き、その後は徐々に回復に向かうといったシナリオを描いているが、果たしてこれらの想定が十分に保守的かどうか、判断は難しい。

2008.05.13 | Comments(0) | Trackback(0) | モノライン

ネット棋戦での時間切負け

昨日の大和證券杯にて、羽生二冠が渡辺竜王にマウスの操作ミスによる時間切れで負けたことが話題となっている。負けたのが羽生二冠だったことが大きいと思われるが、一般のニュースでも取り上げられていた。

昨日の件があったから言う訳ではないが、個人的にはプロ棋士が公式戦をPCを操作して戦うことには魅力を感じない。将棋界も新時代に対応するために従来の枠にとらわれてはいけないといった議論はよくわかるし、コストを削減するために将来的に関西の棋士と関東の棋士の対戦にネットを導入しようという思惑があるのやもしれないが、それほどいいアイデアには思えない。ネットを利用してファンにライブでプロの戦いを楽しんでもらうということであれば、プロ棋士同士は将棋盤で戦い、それを担当者がネットでライブ中継すればよく、実際にそうしたネットにおけるライブ中継は相当程度定着し、圧倒的多くのファンから高い評価を受けている。

もっとファンにアピールすべきは、棋士も時代に乗ってPCを使って将棋をやるんですよということではなく、生の対局における迫力と美学であると思う。格式高い対局室で格式高い将棋盤・駒を使い、知力・気力・集中力・体力をフルモードにして勝ちを探すプロ同士の戦う姿は芸術そのものである。プロ棋士としても、相手の顔や息遣いを感じずに戦うことには大きな違和感があるのではないか。

ネット棋戦には私が見えていない部分でのメリットもあるのだろうが、将棋の本来のルールにない部分での反則負けはできれば見たくないものだ。仮にコストの削減が主目的なのでであれば、他の部分での収入増・支出減の道を今以上に模索するのが先決であるように思う。

2008.05.12 | Comments(0) | Trackback(0) | 将棋

将棋名人戦第3局

5月8日・9日に行われた第66期将棋名人戦第3局は、挑戦者の羽生二冠が熱戦の末逆転勝ちし、対戦成績を2勝1敗とした。

1日目の指し掛けのあたりから森内名人が局面を押し気味に進め、その後も差をつめられることなく徐々に優勢を拡大していっただけに、流れから言ってもこの将棋が逆転したことには非常に驚いた。新聞報道などで”100年に1回の大逆転”、といった表現も目にしたが、簡単な即詰めを逃して逆転負けといった類の大逆転はトッププロ同士でも決して珍しくはなく、やや大げさな気もする。昨年のNHK杯で羽生が中川に逆転勝ちした際に、解説者の加藤一二三九段が興奮して”NHK杯史上に残る大逆転”と表現したが、こうした逆転の局面にライブで接していると、そうした気分にもなるのだろう。

第3局では、羽生二冠が”いつもの負けパターン”をクリアしたことに大きな意義があるように思う。ここ数年間、羽生二冠が大躍進できなかった理由の1つに、タイトル戦などの大一番の序盤中盤でリスクのある新機軸を打ち出し、これをとがめられて形勢をわずかに損ね、これを終盤まで引きずって逆転することなくそのまま僅差で敗退、という負け将棋が多いことがあげられると思う。以前はその圧倒的な終盤力で、多少の序盤中盤の不利も逆転することもしばしばあったが、佐藤康光・森内俊之・深浦康市といったレベルの棋士が相手の場合、一度つけられた差を逆転することは容易ではない。今回の将棋では、ぽっきりと折れてしまうことなく、有体な言い方をすれば”執念で”勝ちをつかみとったという印象を受けた。この1勝は大きいような気がする。

一方、森内名人にしては最終盤で8六桂の空き王手を見落とすなど、不出来な終盤で好局を落としてしまったわけであるが、前期の郷田九段との名人戦でも”歴史に残る大逆転負け”を食った後にしっかり防衛を果たしていることもあり、ショックが後に残ることはないであろう。むしろ、改めて”羽生手ごわし”の思いを強くしているのではないだろうか。

5月20日・21日の第4局が今から楽しみであるが、ここのところ森内名人が比較的対局が少ないのに対して、羽生二冠は竜王戦・王位戦・棋聖戦など重要な対局が多い。対局をこなしながら好調さをキープできるか、注目してみたい。


2008.05.11 | Comments(0) | Trackback(0) | 将棋

目が離せない米大統領選

長かった米民主予備選にいよいよ終結が見えてきた。オバマ上院議員は8日、5月20日のオレゴン、ケンタッキー両州予備選で一般代議員の累積獲得数が過半に達すれば、指名候補獲得の「勝利宣言」に踏み切る可能性に言及した。残された選挙と現状の代議員獲得数を考えれば、このままオバマ候補が勝利する可能性は高いだろう。それにしても、何度もがけっぷちにたたされながらも、お互いに一歩も譲らず、この長い長い選挙戦を戦い続けた両者の体力と精神力には敬服するばかりだ。自分が抱えるストレスなんて、宇宙の星屑のように思えてくる。最近、「品格」という言葉がブームだが、人間というもの、劣勢になり余裕がなくなってくると、勝つために手段を選ばなくなり、品格を失いがちである。特にこれだけの接戦で常にストレス下に置かれた状況だとしたら、品格どころか精神状態を平常に保つことすら困難な気がする。しかし、クリントン氏もオバマ氏も、相手の論理のブレを探したり弱点を突いたりといったことが後半目立ってきたものの、決して品格は失うことはなく、立派に戦ってきたように思う。

ただ、オバマ氏がここまで票を伸ばしたのは、オバマ氏や彼をサポートするオバマ陣営の力だけではない。本来は敵であるはずの共和党からのサポートがかなりあったと聞く。その理由は、マケイン氏が敵にして楽なのはクリントンよりオバマであるという事実である。

オバマ氏は、メディア戦略に長け、カリスマ性も備えており、ケネディの再来といわれるほど卓越した演説を行う。渋い声で "Yes, We Can" といい国民を陶酔させた。しかし、私が詳しく知らないだけかもしれないが、踏み込んだ政策提言は聞かれない。人間としてのオバマ氏は魅力的だが、大統領としては未知数な部分が多すぎる。経験豊富なクリントン氏よりももろさは出やすいだろう。

そして、残念ながら、アメリカにはまだ人種差別が根強く残っている。アメリカの社会を見ると、女性の経営陣はかなり増えてきているが、有色人種は意外と少ない。自分自身もアメリカの会社に勤めているが、上層部に女性は多い一方で、黒人は皆無である。アメリカ人は、人種差別はいけません、と小さい頃から教育されているので、決して言葉に出したりすることはないが、目に見えない人種の高い壁が大きく立ちはだかっているように思われる。そんな中で、オバマ氏が大統領になることは極めて画期的なことだが、言い換えれば非常に困難なことである。

今後、彼らがどのような戦いを繰り広げるのか非常に興味深い。しかし、この大統領選を戦い抜き栄冠を掴んだ後は、経済問題、イラク戦争、医療問題、環境・エネルギー問題、その他、プーチン院政ロシアや中国のチベット問題や軍備拡張等々、課題が山積みなわけで、いくらアメリカがNo.1ではなくなりつつあるといっても、アメリカ大統領となることは(例外もあるが)相当な頭脳・体力・精神力が必要だ。どんな状況になったとしても、最後まで品格のある戦いを続けた候補者でないと務まらないだろう。

2008.05.10 | Comments(0) | Trackback(0) | 政治

AIの進化

今日のテーマはAI、といってもAlternative Investmentではなく、Artificial Intelligenceの話だ(6月末のHedge Fundの解約が金融市場に与える影響も気になるが、、)

ゴールデンウィーク中にコンピューター将棋選手権が行なわれ、優勝・準優勝のソフトがアマチュア超強豪とエキシビションマッチを戦った。結果は2局ともコンピューターの勝ち、敗れたアマチュアの一人は最近もプロ棋士に連勝するなどその実力は誰もが認めるところであっただけに、かなり衝撃的な結果ではあった。10年ほど前までは、「確かに詰め将棋など終盤の限られた局面ではコンピューターの実力は抜群だが、将棋は取った相手の駒を使えるので変化は無限、序中盤には1手指さずにパスした方がいいような局面もあり、コンピューターが総合的に人間を超えるのは無理であろう」と言われていたが、ここ数年間で完全に一線を越えてしまった。昨年、コンピューター(ボナンザ)とプロのタイトルホルダー(渡辺竜王)が公開対局を行い、コンピューターがあわやというところまで人間のプロを追い詰めたのは記憶に新しいが、もう一流のプロでも短い持ち時間の将棋では10局に1局くらいコンピューターに負けても不思議ではないだろう。

技術の進歩には大きな驚きを感じるが、それでも不思議と大きな感動は覚えない。同じような“タブー”でも、“アマ強豪がプロ棋士に勝つ”、“女子プロ棋士が男子プロ棋士に勝つ”といったニュースには、それが最近ではそれほど稀なことではなくなってはいても、ワクワクさせられることが多い。昨年、石橋幸緒女子プロが六段と九段の男子プロを連破したが、将棋の内容が迫力満点だったこともさることながら、当時の石橋プロの境遇を思い巡らせると、今でも感動がよみがえってくる。古くは、借金取りから追われて生活もままならない小池重明アマがバリバリのA級スター棋士を吹っ飛ばしたり、NHK杯で中井広恵女子プロが男子プロの有段者を撃破したり、さまざまなドラマに将棋ファンは胸を熱くした。こうした感動が、コンピューター将棋には感じられないのだ。

これは、私が将棋に人間臭さを求めているからなのだろう。ライバルに対して意識過剰になって自滅したり、深夜に及ぶ対局で最後の最後で疲れから読みが抜けたり、最善手ではなく相手の間違いを誘う手をあえて選んだり、秒読みの中で気合いを通したり、前回負かされた作戦を逆手にとったり、そういったドラマからは関係ないところで(まったく関係ないわけではないようだが)正確無比に差し手を刻むコンピューターには、そのプログラムを作成した人には大きな敬意を払うが、やはり物足りないものを感じないでもない。七冠王でも終盤で1手頓死を見落とす、見落とした本人はたまったものではないだろうが、そんなことにもファンは心を打たれることもあるのだ。

最近のタイトル戦の控え室では、コンピューターソフトを持ち込んで中終盤の形勢を判断しているそうだ。タイトルホルダーが2人で考えても見えない詰みを控え室のコンピューターが数秒で発見し、対局者の2人以外の周りの人間が全員詰みに気がついている、なんて光景もあるのだろう。技術革新を否定するものではまったくないが、自分が古い人間であるせいか、どうしても違和感を覚えざるをえない。

2008.05.06 | Comments(0) | Trackback(0) | 将棋

«  | HOME |  »

FC2Ad

CalendArchive

人生が輝き出す名言集



presented by 地球の名言

プロフィール

dbsb

Author:dbsb
ようこそ。

FC2カウンター

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。